チューリップ元気の会シンポジウムのメモ書き

2003年8月18日 クラッセにて 埼玉県自閉症・発達障害支援センター 高橋圭三氏

LD、AD/HD、高機能自閉症等の子どもたちへのサポートネットワークについて

〜新しい特別支援教育に求められるもの〜



1、「まほろば」の役割と軽度発達障害児への支援の考え方について

まず、最初に「まほろば」の位置づけについて概観してみたい。

「まほろば」は自閉症・発達障害のある方を中心に考えると、基本的に第3次エリアとしての位置づけにある。第1次エリアは直接指導に携わっておられる、多くの福祉関係あるいは教育関係の職員や先生方のエリアを第1次エリアと考える。すると、地域支援コーディネーター、それぞれの地域にある児童相談所、市町村教育委員会、市町村の教育相談所などが第2次エリアとしての役割を持つことになる。「まほろば」はさらに県全域を包含した対象として作業エリアを考えている。つまり第3次エリアとしての位置づけである。現時点で全国12ヵ所にある全ての自閉症・発達障害支援センターの職員数は共通して4名である。この4名という枠組みで最大限の支援効果をあるにはどういう戦略が有効であるか。上記したように、直接支援を中心に活動を展開すると人数条件の制限から多くの効果は期待できない。やはり、それは4人という限られた人数での結果しか得ることができないであろう。そこで、第3次エリアとしてのポジションに立つと、それぞれの地域での核になる部署へのスーパーバイズということになる。しかし、本来保護者や多くの関係者が求めていたのはより直接的な助言であり、情報の提供であったはずだ(自閉症児支援システム調査報告書:2002)。かといって我々のスタッフが全て自閉症に関わる方にスーパーバイズするということではなく、我々の力の及ばない課題や問題解決に関しては著名な専門家を招聘し、研修会を開催し、より多くの専門的な情報の提供を心がけている。そういう意味では「まほろば」は1次エリアを含め2次エリアの方の自閉症・発達障害についての知識とスキルという情報を提供し、それぞれの問題に対応していこうとするものである。そしてその業務は

@相談支援
A療育支援
B就労支援
C普及啓発と研修

の4つに代表される。中でも、「まほろば」はCの研修を重点課題として取り組んでいる。そうする事により、自閉症・発達障害の方たちに広い裾野をもつ支援システムを構築できればと考えている。

軽度発達障害児について、ここで考える発達障害の概念をまず定義しておく必要がある。発達障害を広義で捉えると、MRを含め全ての発達上に何らかの問題がある児童が対象ということになる。一般的に発達期という意味ではその年齢の対象を0歳から18歳あるいは20歳ということができる。さらに、知的障害という表現があることから知的な発達とは違った意味で発達障害を捉え、その意味を考えるとすると、その定義は、近年話題になっている広汎性発達障害、あるいは自閉症スペクトラムやLD、AD/HDの子どもたちということになるであろう。さらに軽度という表現は発達障害を修飾することばではなく、知的障害が軽度であると理解するのが妥当であると考えると、知的障害の軽度な自閉症の「なかま」ということになると定義しておいた方がよさそうだ。また、軽度が文字通り発達障害をいうことばを修飾することばであるとすると、まさに近年話題になる「見えない障害」「分かりづらい」といわれる子どもたちどちらにしろ、LDやAD/HDを含む自閉症の仲間ということになるであろう。

そこで、彼らに必要な支援とは何か。学校教育では通常の学習支援や学習指導ではないということが必然的に示唆される。学校教育での支援それは、彼らの独特な情報処理様式や認知構造に即した学習刺激情報の提供ということになる。更には、生活全般について混乱の減弱のための工夫という環境統制あるいは環境整備が具体的方法として考えられる。さらに、過敏すぎるといわれる彼らへの刺激は非嫌悪的である必要があり、従来の言語指示的、言語説明的な支援とは異なり、自閉症療育での方法論が有効であると考えられる。ここに来て根性論とか、情緒に訴える方向の修正が最有力広報の方法論ではなく、より下位の方法論となり期待を満足するような奏効を見なくなるのである。

2、教育機関との連携に取り組んで難しい点と解決していく方向性

旧来の学級王国的意識が強い組織体ではどうしても介入の余地は少なく、その結果の是非は別として学級内での問題は学級で解決するという完結型のシステムがある。開かれた学級、開かれた学校は学校教育職員以外の専門性を持つ人材の介入を積極的に行い始めている。完結型教育システムの隙間を補完する意味でも、一般社会に散在する人的資源の有効活用がこれからの教育支援に望まれるものであると考えられる。加速的に増大する人類の知の資源は、学校教育期間内でその全てを習得することは難しい。このことは以前の学習指導要領にも記されている事実である。Learn how to learn (学習の仕方を学習する)爆発的に増大する知の資源は個々人に必要なものを個々人が主体的に取捨選択する必要がある。また、あまりにも膨大化した知の資源の学び方の学習が必要であるといわれている。新しく始まった総合的な学習の時間はこのLearn how to learnそのものを示していると個人的には理解している。このLearn how to learnは学校教育に携わる教育職員についても同様のことが言えるのではないかと考えられる。近年急速な勢いで普及しているPCについての技術を含むコンピューターリテラリシーは勿論のこと教育方法論、教育技術、教育観、教育内容も教育職員の確固とした個人的教育哲学が無ければ、情報の多さと忙殺的スケジュールに流されてしまいそうな現状がある。児童生徒たちにLearn how to learnを求めると同時に教職員自分自身についても、このLearn how to learnを身に付けなければ対応できなくなっている現状であると思われる。

教育現場で年間を通して行われる授業や行事についてのスケジュール企画で「前例が無い」とか「昨年と同じ」という発言はもう過去の死語となりつつある。これらのことばを平気で口にする職員がいれば悲しい話である。現代は個々のニーズに応じた柔軟で迅速な対応が今一番望まれる時代であると考えられる。私が20数年前に特殊教育の世界に足を踏み入れた時は子どもたちの指導をするにあたり「柔らかい頭と感度のいいアンテナ」ということが強く要求された。しかし、現在は指導対象の子どもだけを見つめているのではなく、子どもを取り囲む人的、社会的、物理的な環境にまでもさらに多くの情報収集の手を伸ばし、その柔らかい頭と感度のいいアンテナを拡張して対応する必然性があるように思われる。埼玉県は「全ての児童生徒に普通学級の学籍を」志木市の「少人数学級」等に代表されるように革新的で進歩的な教育システムを提案している。これからはそこに介在する人的資源である個々の教育哲学をもった教育職員についての一歩進んだ提案が欲しい。教育はシステムでも学校でもない、教育は人が人に影響を及ぼす行為であるのだから。

3、保護者との連携(相談支援)で上手くいっている点

相談支援あるいはカウンセリングの基本的事項の中にラポートというキーワードがある。本来の意味は日本語でいう一期一会によく似た意味であると聞いたことがある。一般的には心的な距離感が近くなった関係性を示すようである。どちらにしろ、丁寧で細やかな対応が求められることはいうまでも無い。そのような対応の中ででき上がるネットワークはさらに大きなネットワークとなり、その需要の強さから、輪の広がりは大きく質的な高まりも増していっている。日本自閉症協会が全国1万人以上の会員に対して行った調査では、支援センターに求めるものとして直接支援を求める声が目を引いた。保護者の立場では当然のことである。しかし、全国支援センターの要綱が発表されると、そこには直接支援的ニュアンスのある業務内容を示してはいたが、人員数や予算の問題を考えると、全国12ヵ所のセンターでは間接支援を打ち出す所が多かった(先の「まほろば」の役割で記述した)。我々もセンター創設前に支援戦略として間接支援という立場を強調することにしていた。そして、その戦略を埼玉県内の当事者や保護者の方々に我々の間接支援の効率を理解していただくと同時に、協力的提案をしていただいた団体が複数ある。

ここで使われる連携ということばには単なる連絡を密にするということ以外の重要な意味を含んでいると考えられる。関係機関との連携ということばはよく耳にするが保護者との連携ということばを耳にする機会は今まではあまり無かったように思われる。もしあっても、保護者との連携というとたいていの場合、子どもの情報収集のための連絡会のようなものであった。あるいはお願いする者とお願いされる者という利害の一方通行的な関係がそこには見え隠れしていた。しかし、保護者も関係者同様に生活のしづらさを感じている子どもたちの支援者であるという観点に立つと「保護者との連携」を考える上でお互いの弱い点である「保護者の客観性」と「関係者の責任転嫁」が見えなくなるのではなかろうか。

埼玉県全圏を見渡すと、こと自閉症療育に関しては首都東京に近いという地理的条件からなのか、県内に施設設備等のハード面はあるにもかかわらず、自閉症の専門家を育成するという土壌が希薄なような気がする。このことは結果論としてそういえるのであって、埼玉県全域にそういう気質があるというわけではない。特に県東部中部という東京に近くなればその傾向は強くなるようである。専門家というのは誰しも、最初は皆素人である。臨床経験の述べ数字が彼をさらなる専門家に育てるのである。臨床経験の数とはドアを叩く保護者の数に比例するのはいうまでも無い。保護者間の人的で有機的なネットワークができることで、専門家を県外に育成する土壌をストップすることが「まほろば」に課せられた課題でもあるし、保護者との連携で一番大切なことだと考えている。強力で有機的なネットワークができることで、「まほろば」は保護者の方々が県内の直接支援を行う専門家のドアを叩く機会が増えることの一助になれればと願っている。

4、保護者との連携で難しい面、または連携で大事だと思う点

保護者は我が子である自閉症児個人の専門家であると言える。微細なサインを見逃さず的確な対応をできるように子が親を育て、育てられた親はその子に対するノウハウを最大限に生かして社会に認められる子を育てる相乗的効果が子育てという営みなのかもしれない。我々の知り得る知識とスキルは明らかとなった一般的知見に立脚している。つまり、どの自閉症にでも誰にでも共通するかもしれない部分を知っているという意味を中心にして専門家といわれている。つまり最大公約数的知識である。保護者たちそれぞれの知見の集合体は反対に最小公倍数的知見であるともいえる。

連携の大切さはそれぞれの知見をすり合わせ個にとって最適な道を探すことにあると思われる。保護者と関係者の関係性を先ほどの利害の一方通行的関係を打破することにより、お互いは軽度発達障害児というターゲットを共通にする専門家であるという認識に立つことができる。お互いが専門家である以上、譲歩することも必要であるし、意見を交換することもまた必要である。一番まずい方法論は一方通行となる連携であると考える。例えば、直接支援、間接支援に関係なく専門家といわれる人たちからの一方的な知見の押し付け。反対に、聞く耳を持たずに行う保護者から専門家への指摘、非難。これらはお互い専門家であるという認識で行う療育活動という連携には程遠いものであると思う。このことは常に我々の自戒として意識しておかなくてはならないものだと考えている。

5、その他、対象となる子どもたちを教育支援する連携体制として「どのようなところ」と「どのようなこと」をされているか、また今後、どのような連携が望ましいと考えているか。

現在「まほろば」は本年度の事業のポイントとしていくつかのモデル事業を考えている。徐々にそのいくつかは動き始めているが、まだまだ行政枠を超えた有機的ネットワーク作りと言うのは慣習やシステム上の障壁が多く、隔靴掻痒の観がある。「まほろば」が企画ようとしている事業は次のようなものである。

@ 自閉症圏障害の早期発見と早期介入のシステム構築
A 養護学校高等部から就労に向けたトランジッションプログラム作成と実践
B 医療から福祉へのトランジッションプログラムと連携調整
C 埼玉県内の自閉症圏障害の実態調査

教育支援に関しては保育所幼稚園を教育活動と考えると@とAが教育支援の連携体制の対照として考えられる。@に関しては既に打診を始めているところであり、手ごたえを感じ始めている。Aに関してはモデル事業としての通信や地理的簡便性を考えて模索中である。連携体制とはいえないかもしれないが、「まほろば」の県連絡協議会メンバーに県特別支援課の参入をお願いしている。このことによって、県立学校(県立養護学校)との連携としてのパイプは可能である。しかし、十分に機能するにはまだまだ時間が必要である。

また、「まほろば」主催の教育職員自閉症基礎講座には県内の養護学校や小中学校の情緒障害学級設置校から50名ほどの先生方が述べ12講義のシリーズ研修受講者として校長の推薦のもとに参加されている。この8月には9講座を終了し、取得した知識スキルを2学期からの実践に生かしていただける予定である。

また、企画予定の事業として考えているCであるが、県内の知的障害養護学校と情緒障害学級に対して自閉症の実態調査を行おうと考えている。その詳細についてはまだ検討中であるが、それぞれの学校や教室に在籍する自閉症児の実態と明らかになった近年の自閉症須ペクトラムの出生率から、埼玉県内で通常の学級に在籍する特別な支援の必要とする子どもたちの実数が明らかになる。このことは通常の学級の担任をされている先生方への特別支援教育に付いての知識とスキルを研修していただく根拠として是非実現したい事業でもある。

6、軽度発達障害児に対する文部科学省の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」に対する考えについて

最初に軽度発達障害をどう捉えるかという問題がある。軽度という概念を知的障害が軽度と捉える。あるいは知的障害がなく発達障害を見えない障害といわれる軽度と捉える。ふたつの軽度の捕らえ方が考えられる。いずれにしても、この軽度発達障害といわれる児童の多くのは通常の学級に在籍しているであろうと考えられる。今までの教育システムであればそれらの子どもたちは通常の教育の範囲で担任の技量によりうまくいく場合とそうでない場合、教育効果に大きな差があった。しかし、これは通常の教育という枠組みで考えると無理からぬことである。つまり、個別に行われる特別な教育サービスの法的根拠や規定は今までは無いので当然といえば当然でもある。

しかし、今回特別支援教育の在り方についての最終報告の「はじめに」の中では特殊教育の対象とされる視覚障害、聴覚障害、知的障害、等の児童生徒と分けて考えることなく・・・とその方向性を示し、(第2章今後の特別支援教育の在り方についての基本的な考え方 1特別支援教育における基本的視点(1))に記載されているように、LD、AD/HD、高機能自閉症をこれらの障害のある児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、適切な対応を図ることが特別支援教育における基本的視点として重要であると明らかにしている。

これらのことに加え、サラマンカ宣言、21世紀の特殊教育の在り方について、そして今回の特別支援教育の在り方等に一貫して学校職員以外の専門職との連携が強調されている。これは今まで地域の中で独立して機能していた特別な支援を必要とする子どもたちへのサービスが学校という枠組みの中で具現化される可能性を示すものであるとも考えられる。過去の教育のシステムは知ある者から求めるものへの「教えのシステム」であった。しかし、ここに来て「教育は学びの共同体」として、児童生徒のみが学ぶのではなく、教育について教員、保護者、地域住民をも含めた共に学び合う共同体としての学校が問われ始めていると考えられる。つまり、健常児を対象とした第1の主流となる教育という文化から第2の教育文化である特殊教育が派生し、更に今、交流といわれる本来の意味が実現しようとしている。つまり、第1の文化から派生した第2の文化があり、第1の文化(一般の教育)と第2の文化(特殊教育)が混ざり合わさり第3の文化(特別支援のできる教育)が新しく生まれようとしているとも言える。